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阿南簡易裁判所 昭和32年(ろ)15号 判決

被告人 伊勢長一

明四二・一・一〇生 農業

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は「被告人は徳島県那賀郡那賀川町大字苅屋字福園三百二十番地同三百二十一番地水田を耕作する者であるが、同三百二十番地水田西方約二十八米の地点に揚水ポンプ小屋があり同水田北西端附近に引込小柱第一号がその西方約十六米の地点に同第二号があつて四国電力株式会社の電柱から右小柱第一号同第二号を経て揚水小屋に二百ボルト電流を通じていたものであるから斯る場合電気施設に接触して感電の虞がある工作をしてはならない注意義務があるのに拘らず被告人はこれを怠り、昭和三十年八月十日頃雀害防止の目的で前記引込小柱第一号支線と同第二号の間に切断しやすく且つ電流の通いやすい針金を結びその中間に針金製の案山子を吊し且つ前記水田に同様の針金を張廻しその一端を右引込小柱第一号の支線に接触させた過失により、同月十六日頃右小柱第一号支線と同第二小柱との間に張つた針金の中間が切断して右針金製案山子が右小柱第一号の二百ボルト電流の通じているスイツチボツクス引込線に接触して同部位の被覆を破り電流は同部位から右案山子、これを吊した針金及びこれを結びつけた小柱第一号の支線を経て水田に張つた針金に達し、同日午後六時頃右三百二十一番地水田で感電受傷した被告人及び妻ツネノを救出すべく同水田に踏入つた江川義夫に感電せしめ心臓麻痺により即死せしめたものである」。というのである。

しかして右公訴事実中被告人に過失があつたとの点、第一号小柱支線と第二号小柱との間に切断し易い針金を結んだとの点、及び針金製案山子がスイツチボツクス引込線に接触して同部位の被覆を破つたとの点を除き、その余の事実については第二回公判調書中被告人の供述記載においてこれを認めるのみならず、第四回公判調書中証人大和知則、同丸岡八郎、同中村辰夫の各供述記載証人川野昭美に対する尋問調書、同人作成の青写真一枚、証人丸岡八郎、同西春次、同匠幸男の当公廷における各供述、平島村長、宮本治平作成の江川義夫の戸籍謄本、平島病院長松永剛毅作成の死体検案書、伊勢ツネノの検察官に対する供述調書及び当裁判所の検証調書を総合するとこれを認めるに十分である。

よつて被告人に検察官主張のような過失があつたかどうかを検討するに前掲各証拠及び被告人の検察官に対する供述調書二通、被告人の当公廷における供述(ただし後記認定に反する部分を除く)並びに鑑定人稲田貞俊作成の鑑定書を総合すると本件事件現場は国鉄牟岐線阿波中島駅北方約二千米の地点にある平島中学校より約二百米北方に位置する水田地帯であつて、附近一帯は広範な水田が続き、被告人の所有にかかる前掲三百二十一番三百二十番水田は南北に連り、同じく被告人所有の三百十五番水田にいずれも面接しており、これらの水田から約五、六十米北方に被告人の居宅があること、当時被告人は右各水田に植栽していた早稲が稔り始めたので雀害防止の目的で直径約四粍位の鉄線をまるくし直径約四、五十糎の円型の輪を作りこれに布を張りつけ人の顔を画いて案山子を作りその両端に直径〇・六ないし〇・六二粍の亜鉛引き鉄線をとりつけその一端を三百十五番水田と三百二十番水田の境にある畦畔北隅上附近にあつた第一号小柱の支線の茶台碍子(玉碍子)より上の部分に結びつけ他の端をそこから西方約二十九米離れた三百十五番水田の北側畦畔北西隅上附近にあつた第二号小柱に結びつけ、風力によつて前記案山子が上下左右に浮動するように設置し、他方三百二十番三百二十一番水田上には周囲の畦畔に沿つて竹杭を建立しその間を直径〇・六ないし〇・六二粍の亜鉛引き鉄線を張廻らすと共に東西に亘つて千鳥形に張りその一端を前記第一号小柱支線の茶台碍子より下の部分に結びつけ右鉄線の振動或いは日光の反射による雀害防止の工作物を設置したこと、然るところ検察官主張の日時頃(午後六時半頃)右案山子の吊線の西寄りの部分が切断したこと、そして案山子が第一号小柱に設置してあつたスイツチボツクス引込線のボツクスに入る部分の電線を碍管に定着さす為のバインド線の切れ端(約一ないし二糎)にひつかかり同部位の被覆が痛んでいたため接触した引込線から電流が案山子に流れ更に支線の碍子が破損していたため電流が支線を通じて前記水田上に張つていた鉄線に通じた事実を認めることができる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。そこでまず(一)被告人が前掲認定のような工作物を設置した点に注意義務の懈怠があつたかどうかを考えてみるに検察官主張の如く一般に「電気施設に接触して感電の虞がある工作をしてはならない注意義務のある」ことはまことに所論のとおりであるけれどもわが刑法における過失犯の構成要件要素たる注意義務の懈怠とは単に結果的にその事態の生じたこと或いはその事態を認識しなかつたことを意味するものではなく一般人の注意能力をもつてすればその事態が予見し得たに拘らず不注意のため予見しなかつたことを非難するものであることはいう迄もないところ、これを本件についてみるに被告人が電気施設の一部である電柱支線に案山子の吊線を結びその下部に水田上に張つた鉄線を連結したことは前掲認定のとおりであるが、普通一般人の常識としては電柱支線の如きものは何等危険性のないものと考えるのが通常であるから被告人が電柱支線に右のように鉄線を連結したからといつてそれだけでは被告人に注意義務の懈怠ありといい得ないことは勿論である。(二)検察官は被告人が切断し易い針金を使用して案山子を吊した点に感電の結果の発生原因の一があるかの如く主張する。然し検察官の全立証によつても何故に本件案山子の吊線が切断したかの原因を確認することは困難である。証人川野昭美に対する尋問調書中には切断部分がキンクしていたように思う旨の供述記載があるし、鑑定人稲田貞俊作成の鑑定書によれば本件案山子の吊線に使用したのと同種類の鉄線は引張強度三〇ないし三五kg/mm2であつて・一〇kg/mm2程度の応力を107回(一千万回)繰返して加えても破断しないこと、本件案山子の荷重を〇、三kg以下と推定すると当時の徳島地方における風力の仮定値(大体の推定値V2≒10m2/s2)によれば約一kg/mm2の応力がありこの程度の応力によつては普通の状態では破断し難いこと、然し一度ねじられた部分があると右程度の応力でも六千ないし九千回位で破断が生ずる可能性がある旨の記載があるからこれらの証拠を総合すると本件吊線の一部がキンクしていたのではないかとの疑が生じないわけではないけれども右川野昭美の供述は単に一見した結果に止るのであるから右供述のみでは必ずしも鉄線の品質に問題がなかつたともいい切れないしその他に本件吊線が切断した理由を解明するような資料はないのである。むしろ前掲鑑定書によれば本件吊線と同種の鉄線は普通の状態では切断し難いというのであるから特別の事情について証明のない本件においては被告人は切れ難い鉄線を使用したものといわなければならない。(三)更に検察官は吊線の切断と感電の発生とが被告人の過失を媒介として直ちに結びつくかの如く主張する。然しながら前掲各証拠によれば右吊線の切断によつても本件案山子が必然的にスイツチボツクス引込線に接触するに至る状況にあつたとは認められないのであつて却つて証人丸岡八郎の当公廷における供述によれば「当時引込線にかかつていた案山子を同証人が手を伸して外すと西の方角へ四、五米流れた」というのであるからむしろ本件案山子は吊線が切断した場合においてもスイツチボツクス引込線に当然には接触しない位置又は状況にあつたものと言わなければならない。この点については前掲川野昭美作成の青写真によればスイツチボツクスが地上より二米一〇糎の高さにあるに対し第四回公判調書中証人中村辰夫の供述記載によれば支線に結んであつた吊線は地上一米半位の高さにあつたというのであるからこのような位置関係からも右認定を裏付けることができよう。従つて本件案山子がスイツチボツクス引込線についているバインド線の僅か一ないし二糎の巻きじまいの端にひつかかつたということは特段の証明のない本件では被告人の過失を媒介とするものではなく全くの偶然と認める外ないのである。(四)しかも前掲認定のように本件水田上に張つた針金に電流が通じた事情には、電柱支線の碍子が破損していたこととスイツチボツクス引込線の被覆が痛んでいたという二つの事実を無視することができない。すなわち右のいずれか一の事実が欠けていても本件事件は起らなかつたであろうことは証人川野昭美に対する尋問調書からも容易に推認し得るところ、右尋問調書と証人西春次の当公廷における供述によれば、四国電力係員は本件電力施設を昭和三十年四月頃と同年五月三十一日の二回にわたつて検査しその際右係員は本件支線の碍子が破損していることを発見しながら何等修理の措置を講じていないことが認められ、証人匠幸男の当公廷における供述によれば右引込線は昭和二十四年頃電柱と共に設備したものでゴムと綿の二重被覆線であるが終戦後間もない頃の粗悪品であり五年位すると被覆が剥離することが認められる。しかしてこのような電力施設の管理権及び責任が四国電力株式会社に在つて被告人にないことは証人匠幸男の当公廷における供述、証人川野昭美に対する尋問調書によつても容易に認め得る処であるから前叙のような状況の下においては本件水田上に張つた針金に電流が流れたことについて少くともその原因の重要な部分が一介の農民に過ぎない被告人において予見不能な状態にあつたことを認めないわけにはゆかないのである。

(五)してみると本件水田上の工作物に電流が通じた事態の発生は案山子の吊線の切断という偶然の事実に右案山子がスイツチボツクス引込線に接触した偶然と支線の碍子が破損していたという偶然が積重つて生じた稀有の事件と称すべく固より通常人にとつては予測の不可能な事態の発生であつたと言わなければならない。鑑定人稲田貞俊作成の鑑定書中鑑定事項第二に危険な場合がある旨の記載は甚しく抽象的であつて本件の事例には適切でなく採るを得ない。感電した被告人を救出すべく赴いた江川義夫が反つて感電死した本件事件の発生は感情の上からは誠に気の毒であるけれども本件事件の発生自体は奇蹟的であつたという弁護人の主張は結局正当である。

以上判断したところによれば被告人(及び四国電力)に対し江川義夫の死亡の結果につき土地工作物の所有者として民事上の無過失責任を追及するならば格別、被告人に対し刑事上の過失責任を問うべき理由はないからその余の判断をなす迄もなく結局本件過失致死の公訴事実は証明が不十分であることに帰し刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をなすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 仲江利政)

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